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zoom RSS パラダイムシフト−原発という非現実へ

<<   作成日時 : 2012/06/16 22:16   >>

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大飯原発は何がなんでも再開させる、という政府の意思があきらかにされた。国民生活を守るためという首相の演説、夏限定の稼動という妥協案を「経済がわかっていない」と一蹴した経団連会長の言葉など、政財界をあげての原発再稼動へと向けた発言が続いている。

つまるところ、原発に反対するような人間は現実というものがわからない甘っちょろい理想主義者だ、というのが原発推進派の人々の一致した認識だろう。しかし、現実が分かっていないのはむしろ、反省もなく旧来の原発政策に固執しようとする推進派の体質のほうではないだろうか?
対して、脱原発を目指す側からは安全やエネルギーなどの視点から多多反論があると思うけれど、ここでは何が現実的かという点に絞って考えてみたい。

まず世の中に絶対ということは無い、という現実だ。
事故が起きる可能性はどんなに対処してもゼロにはならないし、ヒューマンエラーが根絶されることもない。設備は疲弊し、人間は間違え、天災は予告もなくやってくる −−それが当たり前の現実なのだ。

そして原発の場合、いったん大きな事故がひき起こされれば壊滅的な打撃がもたらされるという現実が続く。
何十万何百万という人が生命の危機にさらされ、居住地を奪われるなどという事故は、他の発電所の事故では起こり得ないことだ。

さらに、その経済に及ぼす破壊力が農業、漁業、工業、畜産業等あらゆる経済分野に及ぶという現実がある。
もし福島原発以上の大事故が起きたら、日本は世界のなかで経済的に孤立し、二度と立ち上がれなくなるだろう。

そして推進派がなによりわかっていない現実がある。
それは日本人全体の意識がすでに脱原発という静かなうねりを生みはじめているという現実だ。
脱原発を主張しているのは、もはや一握りのひとたちばかりではない。そんな主張は市民活動家や、反体制的人物の扇動に過ぎないと、政府や財界のひとが軽く思っているとしたら、日本人の意識の底流に生じた大きな流れを見誤ることになる。
歴史というものは決して少数の特別な人間が動かしているのではない。静かにひっそりと、すべての人間の意識の底流で動く小さな変化が、最後にはとどめようのない大潮流へと姿を変えるのだ。
こうしてパラダイムシフトが起こる。この脱原発のパラダイムシフトは、まだ完全には固まっていないかもしれない。だからこそ推進派のつけ入る隙がまだあるのだが、長期的には原発というものの存在が、バベルの塔のように非現実なものへとイメージされる時代がやってくるのではないかと思っている。


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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
まさに、です。
於兔音
2012/06/17 00:37
おはようございます。
今朝の新聞に全国の原発が地図上で示されていました。
あたりまえですが、すべて海岸沿いに建っているんで
すね。津波の危険にさらされ、活断層の危険にさらさ
れ、日本の原発が危なっかしい場所に建っているんだ
なと、改めて感じました。
E・G
2012/06/17 08:14
原発推進派の中には、いわゆる世間一般で頭がいいと言われる(この場合高学歴とも言われる)人たちがたくさんいるはずなのに、どうしてこのような現実がわからないのかと不思議におもえてきます。いや、わかっているけれど、あえて推進し、再稼働させようとしているのかもしれない。。だとしたら、さらに愚かなことであるのに。そして悲しいかな、その愚かな人たちのせいで、多くの国民が翻弄され危険にさらされている、それもまた現実。
しかし、おっしゃるように一部の活動家だけでなく、多くの日本人の原発やエネルギーなどに対する(もっと言えば、日本人の価値観そのものについても)考え方が変わりつつあるのも確かなことで、

>長期的には原発というものの存在が、バベルの塔のように非現実なものへとイメージされる時代がやってくるのではないかと思っている。

このような時代もそう遠くないうちにやってくるのかもしれません。いや、そうでなければいけないですよね。
はるママ
2012/06/20 00:26
こんにちは
40年で廃炉という方針も、自民党などの横槍で骨抜きにされそうですね。
40年という期間に根拠がない、と言っていますが、どこで切ろうと、ど
こまで延長しようと、根拠なんて見い出せるはずがないんです。40年も
あれば、いまの原発に替わるエネルギー源が幾つも花を咲かせているでし
ょう。
政府が、本気で代替エネルギーの開発育成に努めると約束したうえで、そ
れらが軌道にのるまで暫く待ってほしい、その間に取りうる安全策には最
大限の努力も惜しまないから、と宣言するならば、国民も即原発廃止とま
では迫らないと思うのに、ただ旧来の原発施策に戻そうとしているように
しか思えないのが情けないところです。
おそらく原発推進派のなかには核武装というカードを絶やしてはないとい
う隠れた執念もあるのでしょう。
E・G
2012/06/20 14:56
昨日の新聞朝刊に、関電の全面広告が出ていた。
「関西電力からのご報告」
大飯原発の稼動に向け、国の安全基準に従い問題ないことについてご理解いただきたい旨の酷い広告だ。

彼等の穢れた手は、大海の水すべてを使って洗い落とせたと云うのだろうか。
マクベスの嘆きのように、そんな簡単に禊を済ませるられる訳は無い。
どうやら彼等は、知らない振りを決め込んだのだ。
一つの不幸な出来事だったとして、例外という括弧に入れてエポケーを決め込んでしまった。

パラダイムは、シフトされないままにロストされた。

私たちは、またもや不安を抱えたまま何も知らされないで、それぞれがそれぞれの立場で思考停止を要求され、生きていかなければならないのだろうか?
ただ一つ云えるとすれば「負担に耐えねばならぬとすれば、私たちには知る権利がある」のだ。
J・ロスタンのこの言葉は、いつも反故にされてきた。
私たちは、もういい加減うんざりしている。

私たちは、日々の生活に追われ、余裕の無い時間をある意味無駄にひたすら消化する。
そんな中でも、考えることの自由は、誰にも干渉されない。

絶望はしない。
この手でできることは、たぶんある。
Tycho
2012/06/23 01:09
原発の技術はいつでも核兵器開発に転用できるという点で、
為政者にとっては魅力があるのだと思います。だから核兵
器に対するのと同じような生理的嫌悪感をぼくは原発に持
つのです。

思想や主義に依って原発に反対する人もいるかと思います
が、ぼくはそんなものは持っていません。殺人を忌避する
のに思想信条など不要なように、原発という負の存在にた
いしても、自己の根源にある快、不快というプリミティブ
な情動に従うだけです。そしてそれはまた、たましいの声
に耳を傾けることでもあるのですね。

いま、ぼくと同じように組織的な政治運動などとは無縁で
ありながら、原発の存続に拒絶の意思を示すひとが増え続
けています。この広範な意識の変化が、さらに力をつける
のか、それとも衰退してしまうのか、いまが重大な岐路に
立っているということなのでしょう。

それでも絶望はしません。
河はもう流れはじめましたから。




E・G
2012/06/23 23:50
EGさんの"自己の根源にある快、不快という・・・云々"は、極めて重い言葉でした。私の考えと殆ど同じです。

原発に感じる違和感や気持ち悪さは、生命科学分野の遺伝子組み替えでも同様に感じます。
生命に関するものは、個人の宗教観も入り込む場合が多いので、問題が複雑化しがちです。
例として、穀物の遺伝子組み替えでは、現在品種改良の方法は、6種類あります。
その中で、細胞壁を剥がし遺伝子の変異を促したり、遺伝子の変異を促し易い特定の放射線を用い強度を変えて照射、或いは直接遺伝子を組替える事。

私は、恣意的な遺伝子の変更が気持ち悪いと云いたいのです。
人の手で細胞内の遺伝子を変更している限り、たとえ自然交配で出来た食物と遺伝子的には同じでも、口に入れたいとは思いません。
内面で感じる生理的拒否反応を正直に認める事。
気分として昨日今日で変わる感情の反応では無く、これまで培って来た理性を基に私の倫理観から生じているもの。
根源的には、EGさんの仰る処から来ていると私も思います。
是等に対して幾らかでも尊重される社会や環境を望む事は、大切だろうし必要でしょう。

原発に絡む思想主義を押し通すのは、恐らく事態を複雑化する様に感じます。
一番求められているのは、シンプルな個人の"嫌だ"という感覚です。
パラダイム・ロストは、それ程長く無いと思います。
この先、重大な岐路の目撃者であると共に、結果的に細やか乍らも加担する事になります。
ならば良い方にパラダイム・シフトする事を期待します。
そうなればこの経験は、外に向けての新しいメソッドになるでしょう。

"この新しい世界は、(古い世界よりも)安全かも知れない
古い世界の疾病の危険性を教わったから"
J・ダン「一周忌の哀詩・この世界の腑分け」
Tycho
2012/06/26 03:16
いまや人間のクローンさえ生み出せるほどの技術を持ってしまった遺伝子技術。これをコントロールできるだけの魂の進化を待てず、欲望や金儲けに流されて技術の暴走を許してしまったら、と考えると暗澹としますね。

同じようなところでは、臓器移植という生命操作に対しても、嘔吐を催すような根源的不快感を感じます。

特定の宗教を持っていないぼくのような人間でさえそのように感じてしまうのは、先験的にそれが間違いだということを知っているからでしょうか?

知恵の実を食べてしまったところから人間の堕落が始まったという聖書の物語には、たしかに半面の真実があるようです。けれど知恵というものがひとに必要のないものであるならば、神がはそのような資質を人間に与えてしまったというのもおかしな話です。

人類が思考する存在に一歩を踏み出したのは、やはりそこに魂の希求があったからであって、それはそのまま神の希求と言ってもいいのではないかと思います。

けれどいま人類は、知恵そのものの革命的な進化を求められているのでしょう。
知恵の毒に身を蝕まれながら、それでも知恵を持って自己と世界を変えていかなければいけないのが、人間の宿命ですね。
E・G
2012/06/27 22:05

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