もうひとりのわたし

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物心がついた頃には、もうひとりのわたしの存在に気づいていた。
それはドッペルゲンガーや守護霊とかいったものではなく、かといって客観的に自己を視る精神のあらわれといったものでもなかった(ように思われる)。
もうひとりのわたし(便宜的に彼と呼ぶ)のほうは、たぶんわたしが彼をそれと気づくよりもずっと前から、わたしをみつめていた。
わたしが未だ薄命のなかで世界のさびしさを微かに感じ取っていた頃、彼は絶対的な孤独のなかで、わたしが意識を広げていくのを見守っていた。
だからわたしはさほどさびしくなかったのかもしれない。
というより彼の孤独をみずからのうちに感じ、それを運命と自然に受け止めていたのだと思う。
幼いころ、当初は幼稚園にも入れてもらえず放置(父は仕事、母はなぜか仕事をしていたわけでもないのにいつも外出していた)されていたわたしが、親の愛にさほど飢えていたという記憶がないのもそのせいなのか?

彼はたしかにわたし自身であった。
けれど同じ性格、同じ欠点を持った存在でありながら何かが微妙に違っていた。
たとえてみればそれは現在?のわたしよりもずっと経験を積み、智慧を増している未来のわたしとでもいうような・・。

いま彼はまだわたしの身近にいるのだろうか?
それとも、元々がそうであったようにすでにひとりのワタシになってしまったのだろうか?

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この記事へのコメント

さんがつ
2007年07月14日 15:34
さまざま思うところはありますが。。。
E・Gさんの思うとおりなのですね。きっと。
E・G
2007年07月14日 19:52
ただの妄想か
あるいは心の病なのでしょうか?(笑)
さんがつ
2007年07月14日 21:26
いいえ!
確かな存在として感じはするのです。
それが何なのかはわたしにはわからないのですけれど。
子どもの頃は守護天使を感じることはよくありましたけれど。
Raphael
2007年07月14日 22:41
ハイアーセルフだと思います。
きっと、こういうのお好きじゃないと思いますが!(*^o^*)
高次元の自分/本来の光である自分のことらしいですよ。
何でも知っていて、常に自分を守り導いて
メッセージをくれる存在であり・・・。
でも、それは自分なんです!(*^o^*)
E・G
2007年07月14日 23:03
自分が間違った言動をしているときは、即座に彼のまなざしを感じます。ただかなしく、それゆえあたたかいかいまなざしです。
E・G
2007年07月15日 21:43
あ、またラファさんが間に入っていた(笑)
ハイアーセルフですか、なるほどね、たしかに精神世界用語には抵抗がありますが(笑)、その説明にはとてもうなずけるようなところがあります。どうもありがとう。
環ちゃん
2007年07月16日 21:53
自分の名前で検索すると同姓同名の異なる環境に住む私に気づきます。
私ももうひとりの私は存在しそうに思ってます。
E・G
2007年07月17日 18:51
環ちゃん
名前、生年月日が同じ人はどんな人生を送っているのか興味がありますよね。いつか高級住宅街を歩いていたら自分と同じ名前の表札を見かけました。いやあ、つかのまお金持ちになったような気分になったなぁ^^
S子
2007年08月26日 09:45
もう一人の存在?
それが、誰であろうと…
だから人間は淋しくはないのかもしれない。
どんな孤独の淵に沈んでも~~
E・G
2007年08月26日 21:23
S子さん
もしかしたら解離性障害かも(笑)

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