夏の終曲

 すべての大人は、もう決してやってこない夏休みを待っている。人生の原点であり頂点でもある無時間の夏、 あれらの日々を記憶の核として、日を重ね、年を重ね、流れ始めた時間の中で繰り返しそこに立ち戻り、あれらの無垢を超えることはもうこの人生にはあり得ないのだという事実に、いまさらながら驚くのではないでしょうか。  『暮らしの哲学』-池田晶子

夏が終わります。。
暑くてたまらなくいやだったはずの夏、早く秋にならないかと思っていた夏が終わりを迎えつつあります。
それなのになぜわたしはこの時季にさびしさ、喪失感を覚えるのでしょう。、
たぶんわたしのたましいは夏という季節に永遠(無時間)の面影を感じているのでしょう。
永遠という、他の季節ではあまり似合わないその形容が、なぜか夏という季節に違和感なくはまります。
それでは、夏に特有のこの永遠の感覚は、どこからもたらされるのか?
おそらくそれは、夏の本質がいのちの淵源につらなっているからだと思うのです。
いのちが耀きあふれ湧きたつような夏、それは夏の現象面でもありますが、むしろそれらの気配がすべて途絶えたせつなに、いのちは無限の深さと広がりをもって夏の背後に立ち現れます。
少なくともわたしにはそのように感じ取れるのですが、あなたはどうでしょう?
わたしは変わり者ですから、おそらく感性もひとと違って変わっているのでしょう。
でも、たとえば耳を聾するほどの蝉時雨が一瞬掻き消えたせつな、あなたもそんな気配を感じたりはしませんか・・?

きのうの朝、通勤の途上でアスファルトに落ちている蝉を見ました。
死んだ蝉ではありません。
消えていこうとするいのちに抗って、激しく羽をばたつかせていた蝉でした。
その光景は怖れ(畏れ)とともにわたしの心を突き上げ揺さぶったのでした。

抗っていたいのちは、やがてもっと大きないのちのなかに包摂されていくでしょう。
そして夏の終わりとともに時間が流れ始め、秋がやってくるのです。




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