魂について

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「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」
(「ヨハネによる福音書」3:6)

「魂として生きている」と、はっきり胸落ちしたのはいつのことだったろう。
恥ずかしいことだが、そんな当たり前のことをはっきり感じるようになったのはここ数年のことであったように思う。もちろん、ものごころついた幼いころから魂の眼で世界を見つめてはいた。そのこともいまとなってはわかっているのだが・・・。魂の自分を発見するということはいわば、自分が自分を思い出したような感じとでも言っていいかもしれない。以来、ぼくの人生が少し楽になったのは、心に振り回されることがなくなってきたことが大きいのだと思う。心は絶えず頼りなく揺れ動くが、魂は時も生死も超えて普遍不動の存在なのだから。(といって、そう簡単に心から逃れることはできないけれど)
 池田晶子さんの『魂を考える』という本にめぐりあったのもその頃だった。池田さんといえば哲学者だけあってすぐれて論理的なひとというイメージがあるのだが、考えるとき、ひとはすでに考えているところの<そのもの>を先験的に知っている、つまり感じているというのが池田さんの言っていたことでもあった。感じているのは自分の中の魂、いや魂としての自分だ。
 魂というと、何か宗教かオカルトを連想させるところもあるのだが、ぼくの場合、むしろそのどちらからも遠くなった。魂を発見したひとはむしろ既成の宗教やオカルトに頼る必要を感じなくなるのではないだろうか。既成の宗教は信者に己が魂を実感させる方向づけをするよりも、上から下への説教や垂訓を優先させているように思える。そしてオカルティズムは魂の不滅を語るのに死後の世界などに言及するが、それはむしろひとが魂としての自分を発見する邪魔になるだけだろうとぼくは思う。たしかに魂は生死を超えた現実だ。しかしその証明をするのに死後の世界を持ち出したところで、不思議大好き人間の嗜好を満足させるだけではないか。
魂は生きているこの瞬間にこそ実感されべきものだ。生きているこの瞬間に魂を感じ、ソクラテスのいうように<魂の世話をする>こと。もし人生に意味というものがあるとすれば、そのように魂と関わり、また魂としてこの世界に関わっていくことではないかとぼくは思っている。



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