静夜

画像

暗闇の彼方に
幾億もの星が耀いているのだという

私が消える時
ひとつの物語が語られるだろうか
誰も気づくことのない
あなただけにひらかれた本のなかで

窓辺に月が懸かる
私たちは寄り添う

魂を抱く腕が欲しいのだ


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この記事へのコメント

S子
2010年09月21日 22:20
何百光年も掛かって届く光。

気が遠くなるような、星かげを眺めながら・・・
再び、巡り合える日が来るのだろうかと思う。

瞬きをする間の人生に、
巡り合えたえにしの、永遠を信じたい。



E・G
2010年09月22日 22:12
S子さん。

えにしの不思議ですね。
気が遠くなるような宇宙の時間のなか
わずかな明滅のうちに出会う奇跡です。

出会いがえにしなら、別離もえにしでしょうか。
刻みこまれた痛みでさえ、魂の記憶となるような。
はるママ
2010年09月23日 18:31
E・Gさん、お久しぶりです。

素敵な詩ですね。
この詩を読んだ時、ちょっとドキッとしました。
自分の心のなかにあるものと、ああ同じだなぁと感じて。
感じているけどうまく言えない、
それがまさに今この詩の中に表現されていると。

以前このブログの中で
言葉にできないものをそれでも言葉にしようとする時、詩や物
語か生まれる・・
ということを書かれていましたね。
納得です。。
そういえば、「君自身に還れ 知と信を巡る対話」の冒頭部分で
たしか大峯さんも同じようなことをおっしゃっていたように記憶しているのですが・・違っていたらごめんなさい。
E・G
2010年09月23日 23:00
はるママさん

こちらこそ、ご無沙汰しています。
そして、ありがとうございます。

ブログにはお邪魔してましたが、しばらく物思いに沈んでいるような状態で(あ、ウツじゃないですよ)して、コメントもせずに失礼しています。

お父様の壮絶な戦争体験の記事、大変感慨深く読ませていただきました。
最近、死の側から生を考えることしきりです。
生の意味などいくら考えてもわかるものではありませんが、存在するものが存在するということは、言葉(原初の)によって意味化された結果だと思っています。
言葉が最初に生まれた場所、そこに、いのちや愛の秘密もあるかもしれません。
出逢うためにあえて分かたれた私たち・・・下手くそな詩を書くのも、その場所に少しでも近づきたいというあがきでしょうか(笑)。

大峯さんは俳人でもいらっしゃるので、言葉にできないものを、言葉にしようとするもどかしさをよくお分かりでしょうね。そしてそこから一瞬ひらける世界の神秘も。

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