揺れる世界で

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頼りない、とはこのことか。
不動であるはずの大地がかくも無抵抗に揺らされ、津波のなかに意思を持たぬ人形のように人々が呑み込まれていく。
ひとの生に尊厳などあるのか?と改めて強く思わされた一瞬。
揺れたのは大地ばかりではない。ひとの心はそれ以上に激しく揺れた。不安と恐怖という波になすすべもなく足元を攫われたのだ。
腹だだしいほど怯弱な心。もちろん、このような事態に遭遇して怯弱になったからといって、誰も責められたりはしない。だが、我らはこの揺れる世界のなかで、何を頼りに生きていくべきなのか。
瓦礫に没し、津波に攫われる最期の一瞬に、我らの生を輝かせるものは・・・。
釈迦は、入寂前に「自灯明」、「法灯明」という言葉を残したという。
自己の外にある価値と決別し、自己のなかにある確かなもの、真理のみを灯明として、つまり頼るべきものとして生きなさいという、あたりまえといえば、あまりにもあたりまえな教え。
だが、生ぬるい日常に首まで浸かった我々にはその言葉が耳に届かない。生死に境などありはしないというのに。
いつ死んでもおかしくないーその心構えがなけれはば、ひとは尊厳もなくただ流されるばかりだ。たとえ運よく何の災害にも遭わず生き抜いたとしても。
たとえば生死の刹那に自分の生存のみを思うのか、または愛する人の無事を祈るのか、という一点だけでもその輝きは分かたれるだろう。
その輝きは、自分のなかに確かなものを索める、という日々の営為のなかからのみ生まれるものなのかもしれない。

帰宅難民というほどではなかったけれど、昨夜暗い夜道を1時間半ほど歩きながらそんなことを考えていた。
だから今日、昨日の恐怖もすでに喉元を過ぎたかのように緩んだ表情の人々を見て、悪い夢でも見ているような気分になったのだ。

だが、夕方のニュースを見れば、原子力発電所の爆発事故というあらなた恐怖の知らせ。現実が不動で揺るぎないものであるという幻想は、もろくも打ち砕かれた。
いや、ほんとうはこれが現実というものの実相なのだ。
揺れる世界。
揺れる世界のなかで揺れ続ける存在の意味。
この揺れる現実とともに、我らは生きていく。



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この記事へのコメント

於兔音
2011年03月13日 15:49
不謹慎かもしれませんがまるでSFを生きているような酩酊感があります。
E・G
2011年03月13日 18:49
於兔音さん
小松左京の「日本沈没」を思い浮かべました。
小説でも原発の危機までは思い及んでいなかったかな?
S子
2011年03月14日 11:57
自己のなかにある確かなもの、真理のみを灯明として…

ぎりぎりの瞬間
私の頭の中では
暗中模索から、諦念へと変わるのでは?
そんな風に思えます。
E•G
2011年03月14日 22:17
S子さん

自分のいのちについては諦念の海に
身を任せるかもしれませんね。
それでも愛を最大限に開放して、こ
の世に別れを告げたいと思います。

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