テーマ:エッセイ

記憶のために-池田晶子さん没後3年目に思う

  感傷とは、失われた時への愛情だと思っていた。しかし、これは正確ではない。むしろそれは、決して失われ   ることのないものへの驚きと畏れだ。失われるのは記憶ではない、私たちの人生のほうだ。或る朝私は、死   の中へ目覚めでたことがある。それは決して喜びの情調ではなかつたのだ、私たちの孤独は死によってさえ   癒されないだ…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

夢破れし後の哲学

ひとが夢(願望の意での)という言葉を語るとき、それはあくまでも実現可能な現実として認識している。 たとえ他人には現実離れしていると見えても、その人にとっては可能性のある現実なのであって、手触りのない不可視の世界に憧れているわけではない。 しかし、ひとが現実と言っているものはほんとうに確かなものなのだろうか。 手触りのあるものが…
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

魂について

「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」 (「ヨハネによる福音書」3:6) 「魂として生きている」と、はっきり胸落ちしたのはいつのことだったろう。 恥ずかしいことだが、そんな当たり前のことをはっきり感じるようになったのはここ数年のことであったように思う。もちろん、ものごころついた幼いころから魂…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

夏の終曲

 すべての大人は、もう決してやってこない夏休みを待っている。人生の原点であり頂点でもある無時間の夏、 あれらの日々を記憶の核として、日を重ね、年を重ね、流れ始めた時間の中で繰り返しそこに立ち戻り、あれらの無垢を超えることはもうこの人生にはあり得ないのだという事実に、いまさらながら驚くのではないでしょうか。  『暮らしの哲学』-池田晶子…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more