不易の花(表現とネット)

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詩人が絶対言語的に「花」という語を発するとき、そこに或る異常なことが起こるのだ。存在の日常的秩序の中に感覚的実態として現れていた花が、発音された語のひき起こす幽かな空気の振動と化して消え散っていく。花の「輪郭」の消失とともに、花を見ている詩人の主体性も消失する。生の流れが停止し、あらゆるものの姿が消える。この死の空間の凝固の中で、いったん消えた花が、形而上的実在となって、忽然と、一瞬の稲妻に照明されて、白々と浮かび上がってくるのだ。花、永遠の花、花の不易が。  「意識と本質」- 井筒俊彦

表現することの根底には、不易なものへの無意識的な希求がある。
たとえそこに作品への執着や所有欲、自己顕示といった、本来表現そのものとは関わりのない夾雑物が含まれていたとしてもだ。

ブログが全盛となる前のネット上には、そのような表現の可能性にかけた個人のサイトが華をきそっていた。けれどネットでブログが主流となって以来、そのようなサイトの大方は撤退または消滅してしまったようだ。
それでは新たにブログによってネットに参加してきた人々はどうなのか。どのような意識でブログに臨んでいるのだろうか?

ブログをやっている多くの人は自分の書くものをを表現だと思っているかもしれない。
けれどそこにあるのは、情報の発信や、やりとり、日常の些細な記録である場合がほとんどだ。それはそれで便利であったり、ちょっとした癒しであったり、日常生活の寂しさを埋めるものであったりするので否定はしないのだが、もはやそこには不易なものを希求するといった意味での表現はほとんど見られない。

ブログの世界で求められるのは常に新しいネタだ。
ネットの閲覧者は常に新しいネタを求め、ブロガーはつねに記事を更新しなければという強迫観念に追われている。
昨日書かれた記事もたちまち鮮度を失い、顧みられなくなってしまうのだからそれもいた仕方ない。
ブログというものの構造がそもそのようにできてしまっている。

ブログで表現を志しても、それは過去記事という領域へたちまち折り畳まれていく。
そして多くのブログの閲覧者にとって、過去記事となったものは(それがどのように思い入れを込めて表現されたものであれ)消費済のものとして認識され、たちまち忘却されるのだ。
ブログ以前の個人サイトが空間的、構造的であるのに対し、ブログは時間的であり、流動的であるといえるだろうか。

ブログにおいて価値があるのは目に見えない不易なものではない。
そこで価値を持つものは目まぐるしく交代する目新しさであり、日々の生活を便利にしてくれる情報だ。
その鮮度は絶え間ない消費によって持続される。絶えず新しいもの、流行のものが求められ、刹那に新しい情報が生まれては死んでいく。

もちろんブログという仕掛けそのものには、何の罪もない。ネットの底辺を広げたという功績?もあるだろう。
一部にはそんなブログのなかでも表現の可能性にかけている人がいるし、それを支持するひともいる。人間そのものが変わらなければ、そう希望を捨てたものでもないかもしれない。
だが、ほんとうに人々は変わっていないのだろうか?ともまた考える。
ブログが生まれた背景にそも人々の意識の変化があるのではないかと。

世の中をおおう薄い無力感、閉塞感。それを一瞬でも救うのは目新しい刺激であり、連続する刺激のなかで感じる自己という幻だ。
流行を追いかけ、情報の洪水に飛び込み、スピードを増しながら行く先のわからない未来へと突き進んでいる現実−-ひとはそれを現実と信じ、そこにまた自己と信じるものを投影する。
不易なるものからあふれでる自己ではなく、変転する時代に乗り、或いは乗らされている、このものをこそ「我」と感じる感覚は、昔日の人より現代人に一層強いのではないだろうか?
ひとの意識と世の中は、互いを追いかけ、巨大な螺旋のようにひとつに流れて変化していく。
時代に取り残されまいと急ぎ足の人の群れなか、夕暮れの空に足を止めているぼくなど、もはや完璧に時代遅れの人間というべきだろう。

ブログのスピードさえ煩わしいぼくには、新たにネットの最前線に躍り出たツイッターなるものは、もはや異世界の産物だ。
ツィーターによりネットの敷居が低くなり、多くの人が参加できる素敵なコミュニティが生まれるのであるらしいというが、それはほんとうか?束の間に消費され、使い捨てにされる言葉が、大量に吐き出されるだけのことではないのか?ブログにはまだ残されている表現の幅が、ツィーターにどれほどあるのだろうか?

この時代、不易など口にするのも恥ずかしい。
しかし、本来ひとは一瞬のうちに永遠を感得するすべを持ち合わせているのだと思う。
たとえば、一瞬に咲く花のいのちへの愛。
花の写真をブログに載せると、少し閲覧者が増えたりする。
ひとはなぜ花に惹かれるのか?
但し、大多数の人にとっては、咲いている花だけが花であって、萎れ、枯れていこうとする花はもはや花ではない。見たくもない醜い物だ。
しかし、世界中の花が地に落ち、腐り、塵となり、消えてしまったとしても花は在る。その不易の花を見る事ができなければ、この世界に一瞬咲く花の美しさも見る事などほんとうはできないのではないだろうか?

いま表現はどこにあるだろう。
ネットは便利であるか、金になるか、人目をひくかでなければ、友達づくりが目的の場でしかない。
それは言い過ぎかもしれないが、少なくともネットが表現の場として適さなくなっていることは事実であると思う。

しかし、<表現>の側から見れば、ネットの有無など実はどうでもいいことなのだ。<表現>そのものが滅することは決してない。
ただそれは見えない存在のなかにあって、生まれ出ずるための道が開かれるのを、辛抱強く待っているだけだ-たとえ人類が滅んだ後でも。



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この記事へのコメント

於兔音
2010年11月28日 14:03
ネットで求められ、または求めてしまっているであろう大量の「情報」の渦の中で人は疲弊していかないのでしょうか。といつも思ってしまいます。
それでもその情報の渦巻く世界を覗き見ずにはいられないという矛盾。
なんともはや。です。
いまやこの電脳世界は現実の世界を超えた「悪所」になっているのかも知れません。
『悪の花』は何処に。
E・G
2010年11月28日 20:58
於兔音さん

これからは情報の時代だ、情報に乗り遅れると時代に乗り遅れるぞ、と一昔前に何かの雑誌で煽っていました。その記事を書いたひとはいま、どうだ俺には先見の明があっただろう、と鼻高々でしょうか?
確かに時代は情報を一大価値とする時代に変わりました。けれど、それがいったい何だというのでしょうね。
最近新聞に、我々は三島由紀夫に敗北してしまった、というコラムが載っていました。世間は三島を敗北者と断じたけれど、三島が予言したとおりの精神的に空っぼな日本になってしまった今、負けたのは三島ではなく我々であると。
なるほど、そうかもしれません。正確には時代という怪物に負けたと言うべきかもしれませんが。
ネットも現実と呼ばれる場も、ともに想念の作り上げた世界であるという点で同じだと思いますが、ネットでは人間のうちにある闇と光りがより増幅されるようです。
はるママ
2010年12月07日 10:41
ネット世界の変化の速さは驚くほどですね。
ブログが主流になったのも、まだわずか数年前のように思うのですが。。
素敵なサイトがツイッターにとってかわってしまっているのを見ると
私もとても残念な気持ちになります。
ツイッターは、利用の仕方によっては、便利なものなのかもしれませんが
私もどうもあの細切れ頻繁な書き込みは、あまり読む気がおきません。
変化の激しいネット世界のことですから、このツイッターも
数年後には、他のものに姿をかえているのかもしれません。
そして10年後、20年後にはネットの世界はいったいどうなっているのでしょうね。
想像もつきませんが・・
E・G
2010年12月08日 10:09
ブログが出てきた頃から、スパムメールが一気に増殖し始めたこともあって、ネットへの幻滅感に拍車をかけたかもしれません。
信じられないかもしれませんが、ブログ以前、「はじめまして」というメールがきたら、それはほとんどHPのリンクの依頼や、感想のメールなどでした。
いまそんなメールがきたら、怪しい勧誘のメールとしか思いませんよね(笑)
いまではメールなんて数週間おきにしか確認しなくなりました。
こんな世界はどうなってもいい。自分だけは巻き込まれずに生きて生きたい、という後ろ向きな思いも時に湧いたりするのですが、それでもしょうことなしに書き続けています。

はるママ
2010年12月08日 23:42
E.Gさんも、HPをお持ちだったのですね。
今もそれはネット上に存在しているのでしょうか?
可能であるならば、ぜひ拝見したいと思うのですが・・
E・G
2010年12月09日 15:34
HPはどことも知れないネットの宇宙を漂っています(笑)
そのうち整理してブログからリンクさせようとは思っている
のですが。
    ↓
(EVER GREEN)  
http://www2u.biglobe.ne.jp/~h-inoue/home.html

いま見ると青いなとは思いますが・・。
はるママ
2010年12月09日 23:20
教えてくださってありがとうございます。
早速飛んでみました^^
分量、内容ともに、一冊の本にしても余るほどですね。
もう何年も前から、書き溜められたものなのでしょうか。
私が、HPをネット上に初めて公開した2005年よりも、もっと
以前からのものなのかもしれませんね。
まだ少し読ませていただいただけなので、これから時間をかけて
ゆっくりと読ませてもらいます。
E・G
2010年12月10日 21:46
ただただ、恥ずかしいばかりです。
はるママ
2010年12月18日 23:22
E・Gさん、こんばんは。
寒くなってきましたね。県内北部では、今朝雪が降ったようです。
そちらでも今日は冷え込んでいるでしょうか。

ところで、数日前、HPにリンクされているメールアドレスより
HPの感想など送らせてもらいました。
なんだかまとまりなく長くなってしまってすみません。
いつか時間のあるときにでも、読んでくだされば嬉しいです。
E・G
2010年12月19日 09:06
はるママさん

こちら(神奈川)も寒くなってきましたが、はるママさんのお住まいのところはさらに寒さ厳しいところでしたよね?

ところで実は風邪をこじらせて寝込みまして、ただでさえネットにつながなくなっているところ、さらにPCから遠ざかっていて、メールもしばらく見ていませんでした(~_~;)
これからさっそく拝見させていただきますね。

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